DVDで鍛える! プロトレーナー木場克己の体幹バランスメソッド 1日5分・週3日で美しいカラダをつくる!
サッカーの長谷部選手はこう言っていました。
"機械を使ったトレーニングでつけた筋肉は試合では使えない"
"試合で使える筋肉は自分の体重を利用してつけた筋肉だ"
この本は上記の長谷部選手の言葉を信じるものにとって非常に有用な本になると思います。
ほとんどのトレーニングに器具を必要としません。
器具を使うトレーニングもありますが、わずか1000円程度のチューブ(私はアスリート向けのシェイプリングを使用)のみです。
実際にDVDを見ながらトレーニングしていますが、
ジムにあるような機械を使ったトレーニングでは養えないようなバランス感覚とインナーマッスルを鍛えることができていると感じています。
また、ものすごい汗をかきます。体脂肪燃焼にも非常に有効でしょう。
インテル PRO/1000 PT デュアルポート サーバ・アダプタ EXPI9402PT
ESX/ESXiで認識できるPCI-Expressインタフェースの鉄板NICです。NICのLEDも明るく、視認性が高いです。
青春群像【デジタル・リマスター版】 [DVD]
旧知のライターH氏が某ガンダム本の中で、フェリーニの「青春群像」が「ガンダム」のモチーフになっている、という旨の文を書いていてビックリ。実際、放映当時('79年)富野由悠季監督がインタビューで「(青春群像を)念頭に置いている」と語っていることなので、まぎれもない事実。
では一体どんなところがルーツなのかちょっと見てみましょう。
フェリーニの生まれ故郷でもある港町リミニを舞台に、5人の〈のらくら〉な若者たちの姿を描いた「青春群像」。
親分格で女たらしのファウスト。姉から小遣いをせびってばかりのアルベルト。インテリで劇作家志望のくせに、ろくに机に向かわないレオポルド。歌だけが取り柄のリカルド。そして、主人公とおぼしき、ちょっとペシミスティックなモラルド。
目的もなく、怠惰な日々を過ごす仲間たちの姿に疑問を覚え、そこから抜け出そうと切望するモラルド。
映画のラストで、モラルドは誰にも別れを告げず、一人列車に乗り町を去ってゆく・・・。
動き出す列車と、友人たちの寝姿が遠のいていく画がカットバックし、あたかもモラルドが車窓から友人たちとの決別を幻視しているかのようなラストシーンは、見事なフェリーニ・マジック。「道」以前の作品でもこんな演出をしてたんですね。再見は意外な発見に満ちています。
フェリーニは「都会のモラルド」という題で続編も構想し、脚本もほぼ完成していたといいますが結局製作されず、ゆえに「甘い生活」のマルチェロが、モラルドのその後の姿だったという解釈もあるようです。
ご興味の方は、洋書でシナリオが出版されているので、ぜひそちらを(Moraldo in the City & A Journey with Anita というタイトルです)。
さて、この「青春群像」のどこに「ガンダム」のルーツを見出せるのでしょうか。
筆者は、シニカルな目線で仲間から距離を置く主人公モラルドに、アムロの原型を垣間見た気がするのです。
「ガンダム」の主人公アムロ・レイは、内向的でちょっとひねくれていて、そして戦うことに「疑問」を持つ若者。(モラルドの、ぐうたらな生き方に対する「疑問」とも呼応しますね)それまでのロボットアニメの主人公は、熱血の正義漢ばかりでした。アムロのような等身大の若者像は、当時としてはとても画期的なキャラクター造形だったのです。
「青春群像」のラストで一人町を去っていくモラルドと、「ガンダム」のエンディングで肩をすぼめてポケットに手を突っ込み、一人どこかへ歩き去ろうとしている少年アムロの姿が、妙に重なりませんか?
富野氏の父は戦時中、少年兵が乗る特攻兵器の開発に関わっていて、それ故に父のことを「ずっと尊敬できなかった」という話を記事で読んだ事があります。「ヤマト」の「ミリタリー趣味への憧れ」に嫌悪感を抱いた、とも。
「ガンダム」は“リアルな戦争を描いた”事でアニメファンから支持されたのですが、富野氏は実のところ、戦争が描きたかったわけではない、という気がします。
戦争という現実の中で、あがいて、成長していく“若者たちの群像劇”を描きたかったのではないのでしょうか?
フェリーニの「青春群像」は、多くのクリエイター達から愛された作品でもあります。S.キューブリックと藤子不二雄A氏はベストワン映画、ビリー・ワイルダーもフェリーニ作品の中で一番好きだと言っています。
志を胸に、都会に飛び出してゆくモラルドに、自分の姿を重ねた若きクリエイターたちは、きっと大勢いる事でしょう。
そして、意外と知られていないところで、日本の代表的なアニメ作品の誕生にも関わっていたのです。
参考文献:「ガンダムの常識 一年戦争篇2」双葉V文庫
ブラームス:間奏曲集/4つのバラードより/2つのラプソディ
多くの作品がグールド28才、1960年の録音。しかし、深く思索的なピアニズムは「弾き手」の年令を全く意識させない。クリアすぎるほどに研ぎ澄まされた<音>の連続、その一方、グールドのいつもの唸り声も背後で微かに響く。
だが、「聴き手」の神経は、そこには止まらずブラームス還暦ちかくの深さをたたえた憂愁の<音楽>に自然に行きつく。そして、どうして倍以上も違う作曲家の心情を、20代の若者の「弾き手」がかくも豊かに表現できるのだろうとの驚きが次にくるだろう。
しかも、半世紀前に録音されたいわば「歴史的」な音源のはずなのに、この稀有な演奏は今日ここで奏でられているかの如く生々しくも「現代的」に響く。グールドは健康上の理由で常備薬を手放せなかったと言われるが、この音楽は逆に、グールドから「聴き手」の心に直接投与される最良の音楽サプリメントである。
ロマンティック・メロディ
シューベルトからブラームスまで、ロマン派の作品群を、仲道さんなりにセレクトした名盤。メンデルスゾーンの姉・ファニーやシューマンの妻・クララの曲も入っているのが通好みを唸らせる。最後のブラームスの間奏曲は、心洗われ、絶品。