谷川俊太郎詩集 (ハルキ文庫)
詩集って、評価がつけにくいものですね。詩の一つ一つに世界があって、色があって、それの集合体ですから。ただきっと、この詩集の中に読む人それぞれの心に響く一作があるはずです。それを探してみるのが詩集を読む醍醐味かもしれません。
個人的には「さようなら」という詩がお気に入りです。朗読しながら泣いてしまうこともあります。自分の生き方に重なるんですよね。
あとがきのエッセイは、中島みゆき(歌手)が書いています。おもしろいですよ! 大学の卒論を谷川俊太郎で書いて、好きすぎてうまく書けなかったそうです。
荒地の恋 (文春文庫)
ここに妻子ある一人の中年男がいる。彼の恋人はあろうことか中学・高校の同級生であった親友のれっきとした妻である。彼は職場と妻子を捨て、恋人は夫を捨てて、同棲生活を始める・・・と、まるで安直なTVドラマの筋書きであるが、彼は「北村太郎」という詩人であり、友人は「田村隆一」という戦後を代表する高名詩人である。この小説は、二人が実名で登場して、一人の女を対称点にして愛憎入り混じった友情と嫌悪をぶつけ合う顛末を丁寧に描いた作品である。詩人というものは洋の東西を問わず、いつの世も、タンポポの種子のようだ。「北村太郎」の糟糠の妻も、結婚を控えた娘も、スーパーで働く長男も、けなげに辛抱強く種子の着地を待っているのだが、タンポポは風に吹かれ、お天道様に誘われて漂うばかりである。最後は年若い、別の恋人とも遭遇し、モテモテのまま、69歳で死んでいった彼「北村太郎」とは、漂いながらどういう世界を見、又、どんな魅力を持った男だったのだろうか?TVドラマなら”ありえない”と一蹴できるのに、巧みな小説の仕掛けは、詩神にとりつかれた人間にのみ理解できるのであろう別世界を垣間見せ、凡庸な生活常識人には大きな謎だけが残る。
荒地の恋
久々に「私小説」風を読んだ。ねじめ正一が書く北村太郎の私小説。まあこの生き様といい、日記や手紙や詩が挿入される手法といい。俺は現代詩とか詩人にはめちゃくちゃ疎くて関心もないんだけど、意外に詩人というのは普通の人なのだなぁ、という感想を持った。波乱万丈といえばそうなのかもしれないけど、夫婦関係、親子関係、友人関係、師弟関係、恋愛関係、どれひとつとっても、その感覚って突飛でもないし違和感もない。逆に、アメ車に乗ってほとんど足を使って歩かないっていう鮎川信夫の日常は、詩人って先入観を突き崩す。詩作を、ある種一般の人にとっての労働に近いものとして捉えている感覚も新鮮。
詩ってのは、そういう誰もが持つ感覚を何かに変換したアウトプットなんだろうけど、残念ながら俺にはその変換されたアウトプットを受け取る感受性が欠落している。だから、挿入される詩もまったく琴線に触れるところがないんだけど、こうして小説ってアウトプットだと、北村太郎って人に対して自分なりに想像したり共感したり反発したりすることが出来る。しかし、この人は幸せだよなぁ、っていうか羨ましいよ、色々な人と色々な関係が持ててさ。まぁ、それも小説っていうフィルター通して、読者っていう安全地帯からの感想であることは言うまでもない。モダンとかロマンって外野から見ている分には楽しいけど、当事者として巻き込まれるのはいやだもんな。やっぱ、その覚悟を持てるかどうかってのは芸とか文学とか表現者の資質、条件なのかもしれない。しかし、俺もいい年なんで、老いとか性(生)への執着とか身につまされるなぁ。この小説って北村太郎って人物を通した人間賛歌って趣きもある。ねじめ正一のリスペクトっつーか、取材ぶり、乗り移りぶりも凄い。個人的には、北村太郎が横浜大洋ホエールズ・ファンであることに一番共感したんだけど(ジャイキチのねじめ正一が書いてる点も面白い)。