増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ルールメーキング論入門 (ディスカヴァー携書)
2009年に出た『ずるい!?なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』の増補改訂版となります。読書会でお世話になっている青木さんの旦那様の著作で、前作と同じくいただいてしまいました、、感謝です!
「プリンシプル(原理・原則)との差異を踏まえた上で、ルール(手段・手続)作りへの参画することが大事」との骨子は同じです。今回はそこからさらに考察を深めて、まさしくこれからの日本と日本人の闘い方を描こうとされている一冊と、感じました。
「(正々堂々とルールを守り、潔く闘うという従来の日本人の)考え方を堅持したうえで、
ルールつくりには積極的に参画していくことが大切」
スキーなどのスポーツや車やバイクなどのビジネスの事例を上げながら、「勝ちすぎは社会を豊かにしない」し、「ルールを支配したからといってずっと勝ち続けられるわけでもない」と、その後の結果まで踏まえて述べられていて、非常に説得力があります。
例えば、1998年直後のスキージャンプルール改正は、なんとも後味の悪さを感じたのを今でも覚えています。ただ、その後の結果を中長期的に俯瞰すると、体型的に日本人と変わらない方が結構勝利しているとは意外で、「ルールは成長の糧になる」というのを考えさせられた事例です。
その上で「1チームが勝ちを独占しては面白みがなくなってビジネスとして成り立たなくなる」とされています。これ、身近では日本のプロ野球を見ていると納得してしまうんですよね。先日のWBCが盛り上がる一方で、その波及効果は相変わらずにいまいち見て取れないかな、と感じていますから。。
大事なのは「自身を含む社会の成長(公益)」で、これはプリンシプル(原理・原則)であり、そうそう変わるものではない。しかし、この原理を最大限に実現していくためのルール(手段・手続)は、適宜変えていくべきだろうとは、双方の区別ができているからこそ、でしょうか。
ルール(法)はその時代の状況に則して変わっていく、これは「法治」の理念を生み出した古代ローマの時代でも同じで、その系譜を受け継いでいる欧米であればごく当たり前の感覚なのかなと。
翻って日本はというと、、一度決まったモノはオイソレとは変えないとする傾向は強いと思います。これがプリンシプルに対してであればよいのでしょうが、問題はルールをも混同して不変のものとしてしまっている点でしょうか、特に戦後はその傾向が強くなっていると思います。
むしろルールという枠組みを守ることにだけ汲々として、肝心の「日本人としてのプリンシプル(美学)」を見失いつつあるのではないでしょうか。「仏作って魂入れず」とはよくいったもので、戦後のGHQ内部の共産主義勢力の在り様を鑑みて、痛感するシーンもしばしば。
戦後教育を例にとってみると、日教組などの敗戦利得者の暗躍もあるでしょうが、古来より連綿と受け継いできた日本らしさが、完全に断絶されてしまっていたと思います。そのルールとなっていた戦後の教育基本法ですが、こちらは2006年に戦後初めて大幅に改正されています。
少なくとも旧法よりは日本人としてのプリンシプルを伝えられるような、そして生涯をかけて実現していけるような教育の実現が可能になったと思います。この新法がいい方向に動いてくれるよう期待したいところですが、、さて。
ルール作りで、一時的に後塵を拝しても、次の機会を見据えて公益に資するルールを検討していく事を継続していく必要があると思います。その指針になるのは「公益」になるのでしょうが、それを実現していくには、自身のブレないプリンシプルも大事なのかなと。
そのためにも、日本人としての「プリンシプル」を次世代に伝えていきたいですし、その場の一つとなる「教育」はやはり大事だな、と。その意味でも、日本という国の成りたちや在り様を「大きな物語」として語り継いでいきたいところです。
イギリスの歴史学者、アーノルド・トインビーはこう言っています。「12〜13歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」と。公教育の場で「日本の神話」を学ばせようとしない、この一事を持ってしても敗戦利得者と呼ばれるヒトビトの目的とするところがよくわかるかと。
今の日本は、先の大戦後の日本が参加できずに作られた「ルール」に縛られていると思います、教育しかり、憲法しかり。安倍総理が2006年から言い続けている「戦後レジームからの脱却」、これは「ルール」を作る側に回りましょうと読み替えることもできるのではないかと。
「ルールの作り方や変更の仕方にも、私たちのプリンシプルを入れ込んでいく」
対外的にはTPP、内政的には憲法や教育など、制度疲労を起こしているルールは山ほどあるかと思います。勝ちすぎず負けすぎず、バランスを取りながら、正々堂々をルールを作り、潔く守っていくことが、ひいては公益(社会的有用性の発露)にもつながっていくのかなと。
日本人が、グローバリゼーションと対峙するとはこういうことだ、とのヒントをいただける一冊と感じました、まさしく、今の時代が求めているのではないかと、そんな一冊です。
「プリンシプル(原理・原則)との差異を踏まえた上で、ルール(手段・手続)作りへの参画することが大事」との骨子は同じです。今回はそこからさらに考察を深めて、まさしくこれからの日本と日本人の闘い方を描こうとされている一冊と、感じました。
「(正々堂々とルールを守り、潔く闘うという従来の日本人の)考え方を堅持したうえで、
ルールつくりには積極的に参画していくことが大切」
スキーなどのスポーツや車やバイクなどのビジネスの事例を上げながら、「勝ちすぎは社会を豊かにしない」し、「ルールを支配したからといってずっと勝ち続けられるわけでもない」と、その後の結果まで踏まえて述べられていて、非常に説得力があります。
例えば、1998年直後のスキージャンプルール改正は、なんとも後味の悪さを感じたのを今でも覚えています。ただ、その後の結果を中長期的に俯瞰すると、体型的に日本人と変わらない方が結構勝利しているとは意外で、「ルールは成長の糧になる」というのを考えさせられた事例です。
その上で「1チームが勝ちを独占しては面白みがなくなってビジネスとして成り立たなくなる」とされています。これ、身近では日本のプロ野球を見ていると納得してしまうんですよね。先日のWBCが盛り上がる一方で、その波及効果は相変わらずにいまいち見て取れないかな、と感じていますから。。
大事なのは「自身を含む社会の成長(公益)」で、これはプリンシプル(原理・原則)であり、そうそう変わるものではない。しかし、この原理を最大限に実現していくためのルール(手段・手続)は、適宜変えていくべきだろうとは、双方の区別ができているからこそ、でしょうか。
ルール(法)はその時代の状況に則して変わっていく、これは「法治」の理念を生み出した古代ローマの時代でも同じで、その系譜を受け継いでいる欧米であればごく当たり前の感覚なのかなと。
翻って日本はというと、、一度決まったモノはオイソレとは変えないとする傾向は強いと思います。これがプリンシプルに対してであればよいのでしょうが、問題はルールをも混同して不変のものとしてしまっている点でしょうか、特に戦後はその傾向が強くなっていると思います。
むしろルールという枠組みを守ることにだけ汲々として、肝心の「日本人としてのプリンシプル(美学)」を見失いつつあるのではないでしょうか。「仏作って魂入れず」とはよくいったもので、戦後のGHQ内部の共産主義勢力の在り様を鑑みて、痛感するシーンもしばしば。
戦後教育を例にとってみると、日教組などの敗戦利得者の暗躍もあるでしょうが、古来より連綿と受け継いできた日本らしさが、完全に断絶されてしまっていたと思います。そのルールとなっていた戦後の教育基本法ですが、こちらは2006年に戦後初めて大幅に改正されています。
少なくとも旧法よりは日本人としてのプリンシプルを伝えられるような、そして生涯をかけて実現していけるような教育の実現が可能になったと思います。この新法がいい方向に動いてくれるよう期待したいところですが、、さて。
ルール作りで、一時的に後塵を拝しても、次の機会を見据えて公益に資するルールを検討していく事を継続していく必要があると思います。その指針になるのは「公益」になるのでしょうが、それを実現していくには、自身のブレないプリンシプルも大事なのかなと。
そのためにも、日本人としての「プリンシプル」を次世代に伝えていきたいですし、その場の一つとなる「教育」はやはり大事だな、と。その意味でも、日本という国の成りたちや在り様を「大きな物語」として語り継いでいきたいところです。
イギリスの歴史学者、アーノルド・トインビーはこう言っています。「12〜13歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」と。公教育の場で「日本の神話」を学ばせようとしない、この一事を持ってしても敗戦利得者と呼ばれるヒトビトの目的とするところがよくわかるかと。
今の日本は、先の大戦後の日本が参加できずに作られた「ルール」に縛られていると思います、教育しかり、憲法しかり。安倍総理が2006年から言い続けている「戦後レジームからの脱却」、これは「ルール」を作る側に回りましょうと読み替えることもできるのではないかと。
「ルールの作り方や変更の仕方にも、私たちのプリンシプルを入れ込んでいく」
対外的にはTPP、内政的には憲法や教育など、制度疲労を起こしているルールは山ほどあるかと思います。勝ちすぎず負けすぎず、バランスを取りながら、正々堂々をルールを作り、潔く守っていくことが、ひいては公益(社会的有用性の発露)にもつながっていくのかなと。
日本人が、グローバリゼーションと対峙するとはこういうことだ、とのヒントをいただける一冊と感じました、まさしく、今の時代が求めているのではないかと、そんな一冊です。
臨床に直結する感染症診療のエビデンス―ベッドサイドですぐに役立つリファレンスブック
イソジンは乾くまで待てと教わったけど、本当?
とか、
末梢ルート入れ替えは何日がよいのか?
とか、日常臨床でよくぶつかるちょっとした、でもきちんと理解していなければいけない疑問が、分かりやすく解説されています。
とくに感心したのが、巻末の参考文献のところに、
筆者の先生方が、どのように文献を検索したのかが記載されているところです。
専門家がどのようなキーワードを、どこから得て、どのようなサイトを用いて検索したのかまで書いてあります。
知識のみならず、知識を得る方法まで教えてくれます。
まさにベッドサイドで役に立つ本です。
とか、
末梢ルート入れ替えは何日がよいのか?
とか、日常臨床でよくぶつかるちょっとした、でもきちんと理解していなければいけない疑問が、分かりやすく解説されています。
とくに感心したのが、巻末の参考文献のところに、
筆者の先生方が、どのように文献を検索したのかが記載されているところです。
専門家がどのようなキーワードを、どこから得て、どのようなサイトを用いて検索したのかまで書いてあります。
知識のみならず、知識を得る方法まで教えてくれます。
まさにベッドサイドで役に立つ本です。
爆転シュート ベイブレード SHOOT.11 [VHS]
2001年にTVで放送されていた「爆転シュートベイブレード」の最終話を含む5話を収録。ユーロチームとの戦いを経て自分達の最大の力は仲間を思う力だということに気づき、世界大会決勝戦に挑むBBAチーム。第一戦カイVSセルゲイ、第二戦レイVSボリス、第三戦タカオVSユーリ。どの試合も見逃せないがなんといっても一番の見せ場はレイが死を覚悟してまでボロボロになりながらも戦う第二戦ではないか。作画もきれい。このあと「ベイブレード2002」ではキャラクターの描き方が根本から変わってしまうため、2001版ファンとしてはぜひとも持っていたい一枚だ
日本国憲法はどう生まれたか? 原典から読み解く日米交渉の舞台裏 (ディスカヴァー携書)
ビジネスマンの視点で日本国憲法制定の舞台裏を描く。ルールメーキング論から見た日本国憲法が本書のテーマ。
新憲法について語った白洲次郎の言葉などを引き合いに出して、著者が訴えかける言葉がとても印象的。
「憲法を考えようという今、日本人として事実をよく見すえたうえで、timely and wise な判断ができるか、それが今、私たちに課された大きな課題となるように思えてなりません」
自身のビジネス経験から語る言葉が熱い。そして重い。
「会社の方針なんて役に立ちません。頼れるのは自分自身の考えだけ。これが白洲の言う「プリンシプル」に近いものでしょう」
日本国憲法を原典から読み解くという試みは面白い。しかし、それを通して著者が伝えようとすることにより注目してほしい。
自分の頭で考えることや参画意識を持つことなど。著者の想いが伝わる、しびれる一冊。おすすめです。
新憲法について語った白洲次郎の言葉などを引き合いに出して、著者が訴えかける言葉がとても印象的。
「憲法を考えようという今、日本人として事実をよく見すえたうえで、timely and wise な判断ができるか、それが今、私たちに課された大きな課題となるように思えてなりません」
自身のビジネス経験から語る言葉が熱い。そして重い。
「会社の方針なんて役に立ちません。頼れるのは自分自身の考えだけ。これが白洲の言う「プリンシプル」に近いものでしょう」
日本国憲法を原典から読み解くという試みは面白い。しかし、それを通して著者が伝えようとすることにより注目してほしい。
自分の頭で考えることや参画意識を持つことなど。著者の想いが伝わる、しびれる一冊。おすすめです。