マグナ・カルタ...ホーリー・グレイル
まったくすごい男である。 今まで出したjay-z名義でのスタジオアルバム11枚がすべでプラチナムセールス(100万枚以上)である。 90年代から数多くのアーティストが出ては消え出ては消えを繰り返し、また90年代に活躍し「伝説の〜」やらの形容詞が付く俗にいう「大御所」はいても、 90年代初期から活躍したラッパーで、2013年にアルバムを出してプラチナムセールスを獲得が出来るラッパーはおそらくjay-zのみであろう。
さて、このアルバム。元々出始めは早口ラップをしていたjay-zが変化を続け、今の独特な一語一語を大切にゆっくりラップするスタイルに変わったのが2007年のAmerican Gangster頃からだと思う。そのラップスタイルの一つの完成系がこのアルバムだろう。 とにかくラップにキレとハリがあり、聞いていて気持ちが良い。
とにかく従来の成功体験から変化出来るアーティストである。
The Blueprintからの流れをくむ、カニエウェストやジャストブレイズと組んで大成功を収めた古き時代の音を感じさせるトラックから一転し、今作ではThe Dynasty Roc La Familiaを感じさせる未来的な電子音スタイルを取り入れて来た。 トラック制作の中心人物は盟友ティンバーランド。おなじみファレルや今、ノリに乗る若きプロデューサーMike Will Made It(Band'z make a danceやlove meを作ったひと)、16歳の新人女性プロデューサーなども迎えて非常にバランスが取れた顔合わせ。 いやいや、面白いアルバム。とくにティンバーランド制作、Tom Fordの分厚いベース音にはやられました。 jay-zのラップスタイルが好きな人、電子音に嫌悪感がない人は是非聴いてみてください。
さて、このアルバム。元々出始めは早口ラップをしていたjay-zが変化を続け、今の独特な一語一語を大切にゆっくりラップするスタイルに変わったのが2007年のAmerican Gangster頃からだと思う。そのラップスタイルの一つの完成系がこのアルバムだろう。 とにかくラップにキレとハリがあり、聞いていて気持ちが良い。
とにかく従来の成功体験から変化出来るアーティストである。
The Blueprintからの流れをくむ、カニエウェストやジャストブレイズと組んで大成功を収めた古き時代の音を感じさせるトラックから一転し、今作ではThe Dynasty Roc La Familiaを感じさせる未来的な電子音スタイルを取り入れて来た。 トラック制作の中心人物は盟友ティンバーランド。おなじみファレルや今、ノリに乗る若きプロデューサーMike Will Made It(Band'z make a danceやlove meを作ったひと)、16歳の新人女性プロデューサーなども迎えて非常にバランスが取れた顔合わせ。 いやいや、面白いアルバム。とくにティンバーランド制作、Tom Fordの分厚いベース音にはやられました。 jay-zのラップスタイルが好きな人、電子音に嫌悪感がない人は是非聴いてみてください。
ジェイ・Z フェイド・トゥ・ブラック [DVD]
映画フィルムの保管倉庫に勤めるエリック(デニス・クリストファー)は、1日3本は映画を観る筋金入りの映画オタク。もちろん部屋の壁は映画のポスターだらけ。16ミリフィルムのコレクションも持っていて、将来の夢は映画館主。一緒に暮らす、口やかましい叔母のステラ(イヴ・ブレント・アッシュ)は、かつて女優だったが事故で引退し、今は車椅子の生活。スターの物まねばかりしているエリックは、仕事場でいわゆる「オタク」として同僚から馬鹿にされ、友達もいない。そんな彼はある日、マリリン・モンローそっくりの娘・マリリン(リンダ・カーリッジ)に一目ぼれ。映画に誘うが、マリリンはデートに遅刻。エリックは自分の部屋でリチャード・ウィドマークが殺し屋を演じた『死の接吻』を独り寂しく上映する。そこへ入ってきた叔母は、うだつの上がらないエリックに癇癪を起こして映写機を壊し・・・エリックは怒りに我を忘れ、映画の中のウィドマークそっくりに、車椅子の叔母を階段から突き落として殺してしまう。そしてこの事件をきっかけに、エリックは自分を映画の登場人物と同一視するようになっていく。〈ミイラ男〉や〈西部劇のヒーロー〉、〈ドラキュラ伯爵〉などの扮装で映画のキャラクターなりきって、自分を馬鹿にした上司や同僚たちを、次々と殺害していく・・・。
物語のプロットは、一見すると、よくあるオタク系サイコサスペンスのようだ。しかしこの映画が重要なのは、製作されたのが1980年、という事。現実と架空の世界の区別がつかなくなった若者が事件を起こし、メディアの問題が取り上げられるようになるのは'90年代以降で、さらに頻度が高まり社会問題化していくのは、インターネットやテレビゲームに依存する若者が圧倒的に増大する21世紀に入ってからだ。
この映画が製作された1980年は、まだわが国でもホームビデオが一般家庭に普及する数年前。映画少年たちは、チラシやポスターやパンフレットを宝物のように集めていて、「ソフト」の普及で自分の好きな映画を、自宅で何度でも繰り返し観ることができる時代がくるなんて、まだ夢にも思っていなかった。この映画でも、ビデオソフトらしきものが画面に映るところはあるのだが、主人公が自室で観る映画は、16ミリの複製フィルムだ(相当お高いと思うのだが)。この頃の映画少年たちは、映画館で何度も繰り返し映画を観て、自分の好きなシーンやセリフを憶えたものだった。そして'80年といいつつも、あきらかに時代の空気はまだ'70年代の後半。これは、『タクシードライバー』が代表するような、カウンターカルチャーを引きずり、社会への反抗を試みた怒れる若者たちから、インナースペースに引きこもっていってしまう若者たちへと、世代が変容していく狭間に生まれた、「暗黒の青春」を描いた先駆的作品なのである。
この映画で描かれるテーマを安易に論じるのはとても難しい。どんな理由があっても殺人行為に同情の余地はないが、一方で誰にも理解されない孤独感というものは、少なからず誰もが経験したことがあるものではないだろうか。ほんの些細なことがきっかけで、個人が孤立してしまう ― 集団が、個人の「個性」というものを尊重しようとしない、「心なき社会」が抱える根源的な問題も、この映画の中で描かれているのだと思う。
映画の中で、若者の心理を研究している保護司の博士が登場する。そして、メディアが十代の若者の思考に与える影響について語るシーンがある。そして、引きこもり少年たちが事件を起こすたびに取り沙汰されるのが、メディアの責任だ。映画やマンガやアニメやゲームの中の過激な表現が、若者の精神に悪影響を及ぼしている、と。本当にそうなのだろうか?
自分も、いわゆる「映画オタク」に間違いなく属する人種である。しかし、映画というのは虚構だから面白いと思っているわけで、現実と映画の虚構の区別がつかなくなってしまう感覚は解らないし、映画の世界が現実になってしまえばいい、と思った事もない。
エリックはなぜ凶行に奔ってしまったのだろうか。彼に「居場所」があったら、それでも同じような行動をとっただろうか?本当の悪は、人の心の中にあるのではなく、集団となって「心を失った怪物」と化した社会の方、ではないのだろうか?
クローネンバーグの傑作『ビデオドローム』は、まさにメディアが人間の精神に与える影響の恐ろしさを描いた、社会派目線の先駆的作品だった。そして本作『フェイド to ブラック』は、メディアと社会の関係性の中で、若者の心の内面を描こうとした先駆的作品・・・イエジー・スコリモフスキの『早春』に連なる、暗黒の青春を描いたジャンルの傑作なのだ。
最後に、全編にわたって繊細で丁寧な演出でこのドラマを描ききったヴァーノン・ジンマーマン監督の手腕に拍手。この作品を名品たらしめているのは、演出の功績が非常に大きく、またこれだけ様々な映画の引用が盛り込まれているということは、監督自身も「オタク」に違いないのだ(脚本も兼任!)。
そして、主人公エリックを演じたデニス・クリストファーの、繊細で神経症的な演技も見事。彼の演技は、多くの批評家から絶賛されたという。マリリンを演じたリンダ・カーリッジもけっこう雰囲気が出ていてグー。また、エリックの同僚を、ミッキー・ローク(若い!)が演じていたのも密かなチェックポイントだ。
現在となっては、残念ながら普遍的なテーマとなってしまった「オタク青年の心の闇」を描いた、この先駆的作品、ぜひ廉価版DVDで再発して、より多くの方に観てもらいたい、と思う。
物語のプロットは、一見すると、よくあるオタク系サイコサスペンスのようだ。しかしこの映画が重要なのは、製作されたのが1980年、という事。現実と架空の世界の区別がつかなくなった若者が事件を起こし、メディアの問題が取り上げられるようになるのは'90年代以降で、さらに頻度が高まり社会問題化していくのは、インターネットやテレビゲームに依存する若者が圧倒的に増大する21世紀に入ってからだ。
この映画が製作された1980年は、まだわが国でもホームビデオが一般家庭に普及する数年前。映画少年たちは、チラシやポスターやパンフレットを宝物のように集めていて、「ソフト」の普及で自分の好きな映画を、自宅で何度でも繰り返し観ることができる時代がくるなんて、まだ夢にも思っていなかった。この映画でも、ビデオソフトらしきものが画面に映るところはあるのだが、主人公が自室で観る映画は、16ミリの複製フィルムだ(相当お高いと思うのだが)。この頃の映画少年たちは、映画館で何度も繰り返し映画を観て、自分の好きなシーンやセリフを憶えたものだった。そして'80年といいつつも、あきらかに時代の空気はまだ'70年代の後半。これは、『タクシードライバー』が代表するような、カウンターカルチャーを引きずり、社会への反抗を試みた怒れる若者たちから、インナースペースに引きこもっていってしまう若者たちへと、世代が変容していく狭間に生まれた、「暗黒の青春」を描いた先駆的作品なのである。
この映画で描かれるテーマを安易に論じるのはとても難しい。どんな理由があっても殺人行為に同情の余地はないが、一方で誰にも理解されない孤独感というものは、少なからず誰もが経験したことがあるものではないだろうか。ほんの些細なことがきっかけで、個人が孤立してしまう ― 集団が、個人の「個性」というものを尊重しようとしない、「心なき社会」が抱える根源的な問題も、この映画の中で描かれているのだと思う。
映画の中で、若者の心理を研究している保護司の博士が登場する。そして、メディアが十代の若者の思考に与える影響について語るシーンがある。そして、引きこもり少年たちが事件を起こすたびに取り沙汰されるのが、メディアの責任だ。映画やマンガやアニメやゲームの中の過激な表現が、若者の精神に悪影響を及ぼしている、と。本当にそうなのだろうか?
自分も、いわゆる「映画オタク」に間違いなく属する人種である。しかし、映画というのは虚構だから面白いと思っているわけで、現実と映画の虚構の区別がつかなくなってしまう感覚は解らないし、映画の世界が現実になってしまえばいい、と思った事もない。
エリックはなぜ凶行に奔ってしまったのだろうか。彼に「居場所」があったら、それでも同じような行動をとっただろうか?本当の悪は、人の心の中にあるのではなく、集団となって「心を失った怪物」と化した社会の方、ではないのだろうか?
クローネンバーグの傑作『ビデオドローム』は、まさにメディアが人間の精神に与える影響の恐ろしさを描いた、社会派目線の先駆的作品だった。そして本作『フェイド to ブラック』は、メディアと社会の関係性の中で、若者の心の内面を描こうとした先駆的作品・・・イエジー・スコリモフスキの『早春』に連なる、暗黒の青春を描いたジャンルの傑作なのだ。
最後に、全編にわたって繊細で丁寧な演出でこのドラマを描ききったヴァーノン・ジンマーマン監督の手腕に拍手。この作品を名品たらしめているのは、演出の功績が非常に大きく、またこれだけ様々な映画の引用が盛り込まれているということは、監督自身も「オタク」に違いないのだ(脚本も兼任!)。
そして、主人公エリックを演じたデニス・クリストファーの、繊細で神経症的な演技も見事。彼の演技は、多くの批評家から絶賛されたという。マリリンを演じたリンダ・カーリッジもけっこう雰囲気が出ていてグー。また、エリックの同僚を、ミッキー・ローク(若い!)が演じていたのも密かなチェックポイントだ。
現在となっては、残念ながら普遍的なテーマとなってしまった「オタク青年の心の闇」を描いた、この先駆的作品、ぜひ廉価版DVDで再発して、より多くの方に観てもらいたい、と思う。