北の国から Vol.8 [DVD]
18年間を共にした馬を手放した翌日、杵次じいさん(大友柳太郎)が死んだ。頑固な変わり者で周りにも手を焼かせた爺さんだったが、それでも「杵次じいさんがそうなっちゃったのは彼の苦労を知らない周りのせい。あの馬だけが爺さんのことを分かっていた」と開拓時代の爺さんを知る初老の清吉(大滝秀治)が呻くように語る。泣ける場面が多い一方、純の「女性の胸が気になって気になって、僕は病気にかかってしまった・・・」と悩むほほえましいストーリーもあり、盛りだくさんの一枚。
雑草の生活
とてもおもしろかったです。とはいっても、もちろんあくまで、タレントエッセイなのでそんなに腰を抜かすようなことはありませんが…。いや、とても好感がもてる文章ではあるし、僕はますます彼女のファンになりましたよ。とりあえず、これを読んでタバコのポイ捨ては絶対にやめようと思いましたね。
北の国から Vol.11 [DVD]
現在コレクションが順調に増えています。いよいよ半分
そろえた訳ですが,楽しみに見ています。
純や蛍の気持ちの変化も丹念に描かれており,
相変わらずの脚本,演出の良さを認識させられています。
全巻揃えて,最終回を迎えるのを非常に楽しみに
しています。
そろえた訳ですが,楽しみに見ています。
純や蛍の気持ちの変化も丹念に描かれており,
相変わらずの脚本,演出の良さを認識させられています。
全巻揃えて,最終回を迎えるのを非常に楽しみに
しています。
幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門 [DVD]
堤真一目当てで見たのだが、予想以上に良かった。
清水邦夫といえば、駒場にいた頃、『予め失われている恋人よ』という芝居の看板が出ていて、見てはいないが、それがきっかけでリルケの詩集を買って、暗誦したりしたっけ…。
今でも最初の何行かは覚えているので恥ずかしいがちょっと書いてみる。
予め失われている恋人よ
一度も現れたことのない人よ
お前は知らないのだ
どんな調べがお前に好ましいかを
冒頭のシーンで、浅間山荘事件を思わせる鉄球が舞台に出てくる。
浅間山荘事件「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)は、1972年2月の事件で、当時小学校3年生だった私が生涯で初めて認識したニュース映像だ。
鉄球が山荘に打ち込まれるシーンを今でも覚えている。
この事件の直前に発売されたカップヌードルは、狩り出された機動隊員が雪の中ですすっている情景がTVで繰り返し流れたために、爆発的に売れるようになったらしい。
この冒頭のシーンからわかるように、この芝居は連合赤軍の話なのだとすぐ思い当たった。
主人公将門は、頭の負傷が元で狂気に陥り、あろうことか、自分を、将門の幼馴染だが、今は憎んでその命を狙う者であると思い込んでしまい、その彼をめぐって、将門の影武者をはじめとする家来たちが大混乱と疑心暗鬼に陥り、裏切り等により自滅していくというストーリーだ。
将門が民衆の貧困を救うため、京の藤原氏に歯向かったように、連合赤軍の闘士たちも、社会を良くするという大義のために国家権力と戦っていたはずだ。
それがいつのまにか、自分自身の中に敵を見出すようになり、疑心暗鬼と裏切りの果てに殺し合う。
浅間山荘事件をジェンダーの視点から説いた大塚英志の「彼女たちの連合赤軍」はとても面白い。
永田洋子は女性同志のジェンダー性が許せなかった、闘争の中でも、女性闘士は男性闘士の欲望を満たしたり等、ジェンダー的な役割を強制された等、興味深い。
本当の平等社会だったら男女差別もないはずだけど、現代でも、外ではフェミニスト、家では奥さんを搾取する活動家っているのよね…。
1975年の作品だから、そういう時代の雰囲気が出るのは当然だが、当時の「ベトナム」戦争(ベトナム人はアメリカ戦争と呼んでいるので、私たちはベトナム戦争と呼ぶだけで、アメリカ側に立っているのだと気づかされたのは、2001年にベトナム縦断旅行をした時)のようなことが、今イラクで行われており、決して一時代の問題と片付けられない普遍的なテーマと思う。
堤真一の、ノーブルさと野性味のミックスされた魅力がよく生かされていたし、せりふまわしだけで、正気か狂気かわかるという演技力もあらためてさすがと思った。
中嶋朋子とは、TPTの「ロベルト・ズッコ」でも共演していたが、すごく激しい立ち回りが多いせいか、彼女の足にバンドエイドが貼ってあるのが見えて、「ああ、大変だな」と思った。
桔梗の前役の木村佳乃は舞台では初めて見たが、意外に演技がうまく、プライドと情熱を併せ持つ女性をよく体現していた。小谷野敦は彼女の大ファンらしいので、見に来たのだろうか。
でも、1981年に大学生になった私には、学生運動の頃の雰囲気は体感できないが、学生が理想に燃えて戦った時代があったのだなあ。
清水邦夫といえば、駒場にいた頃、『予め失われている恋人よ』という芝居の看板が出ていて、見てはいないが、それがきっかけでリルケの詩集を買って、暗誦したりしたっけ…。
今でも最初の何行かは覚えているので恥ずかしいがちょっと書いてみる。
予め失われている恋人よ
一度も現れたことのない人よ
お前は知らないのだ
どんな調べがお前に好ましいかを
冒頭のシーンで、浅間山荘事件を思わせる鉄球が舞台に出てくる。
浅間山荘事件「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)は、1972年2月の事件で、当時小学校3年生だった私が生涯で初めて認識したニュース映像だ。
鉄球が山荘に打ち込まれるシーンを今でも覚えている。
この事件の直前に発売されたカップヌードルは、狩り出された機動隊員が雪の中ですすっている情景がTVで繰り返し流れたために、爆発的に売れるようになったらしい。
この冒頭のシーンからわかるように、この芝居は連合赤軍の話なのだとすぐ思い当たった。
主人公将門は、頭の負傷が元で狂気に陥り、あろうことか、自分を、将門の幼馴染だが、今は憎んでその命を狙う者であると思い込んでしまい、その彼をめぐって、将門の影武者をはじめとする家来たちが大混乱と疑心暗鬼に陥り、裏切り等により自滅していくというストーリーだ。
将門が民衆の貧困を救うため、京の藤原氏に歯向かったように、連合赤軍の闘士たちも、社会を良くするという大義のために国家権力と戦っていたはずだ。
それがいつのまにか、自分自身の中に敵を見出すようになり、疑心暗鬼と裏切りの果てに殺し合う。
浅間山荘事件をジェンダーの視点から説いた大塚英志の「彼女たちの連合赤軍」はとても面白い。
永田洋子は女性同志のジェンダー性が許せなかった、闘争の中でも、女性闘士は男性闘士の欲望を満たしたり等、ジェンダー的な役割を強制された等、興味深い。
本当の平等社会だったら男女差別もないはずだけど、現代でも、外ではフェミニスト、家では奥さんを搾取する活動家っているのよね…。
1975年の作品だから、そういう時代の雰囲気が出るのは当然だが、当時の「ベトナム」戦争(ベトナム人はアメリカ戦争と呼んでいるので、私たちはベトナム戦争と呼ぶだけで、アメリカ側に立っているのだと気づかされたのは、2001年にベトナム縦断旅行をした時)のようなことが、今イラクで行われており、決して一時代の問題と片付けられない普遍的なテーマと思う。
堤真一の、ノーブルさと野性味のミックスされた魅力がよく生かされていたし、せりふまわしだけで、正気か狂気かわかるという演技力もあらためてさすがと思った。
中嶋朋子とは、TPTの「ロベルト・ズッコ」でも共演していたが、すごく激しい立ち回りが多いせいか、彼女の足にバンドエイドが貼ってあるのが見えて、「ああ、大変だな」と思った。
桔梗の前役の木村佳乃は舞台では初めて見たが、意外に演技がうまく、プライドと情熱を併せ持つ女性をよく体現していた。小谷野敦は彼女の大ファンらしいので、見に来たのだろうか。
でも、1981年に大学生になった私には、学生運動の頃の雰囲気は体感できないが、学生が理想に燃えて戦った時代があったのだなあ。