陸軍3式戦闘機「飛燕」 (世界の傑作機 No. 17)
三式戦、こと「飛燕」を取り上げています。
贅沢を言えばテーパー比の高い翼平面に関して掘り下げてもらいたかったのですが、、、。
当時のエピソードをはじめ、他にも興味深い内容が豊富に掲載されています。
また貴重な写真などもシリーズ通して掲載されており、当時の本機に思いを馳せる事ができます。
飛燕戦闘機隊―帝都防空の華、飛行第244戦隊写真史
ついに出た。菊池俊吉氏の写真と、その写真に解説を付した244戦隊史が!
長い間の謎だったのは、戦時中にマスコミにもてはやされていた、陸軍の飛行244戦隊に関する著作が、どうしてかくも少ないのか。そういう疑問だった。
米軍の無差別爆撃から帝都を守る、彼等の戦いは、我が国一丸となって戦う、大東亜戦争終末期の白眉のひとつだった。彼等の体当たり攻撃や、必死の防空戦を、当時国民とともに戦争を戦った報道各社(もちろん朝日、毎日、読売新聞を含む)の前線も、筆を極めて賞賛し、ともに、無慈悲な無差別爆撃を行うB29の撃墜場面に喝采を送っていたではないか。
それなのに、戦後、彼等の戦いは不当に塗りつぶされていた。「帝都防空の華」とまで賞賛した新聞各社は、どうしてどこも彼等のその後を描こうとしなかったのか。まったく、彼等の活躍を戦後の闇に葬り去ろうとしていたかのようだ。それとも彼等の戦いを検証することが、恥だとでもいうのか。
必勝の信念を国民に説き、その証として最大限に利用した大新聞各社は、今こそ彼等の戦いを、検証してもいいではないか。長い間の気が晴れない疑問でもあった。
私は平成13年の夏に、東京都調布市の多摩霊園に、244戦隊長だった小林照彦少佐が眠る墓地にでかけて墓参りをしてきた。雑草が茂り、忘れ去られたような小林隊長の墓前に立ちながら、俺は忘れないぞ。死力を尽くして戦い、死んでいった244戦隊のことを、同じ国民を継承するものとして。
力んでそうおもったのだが、同じように力み、それを形にした男が、解説を務めている櫻井隆さんだ。墓前に立った私は、力んだだけで終わったが、彼は、それを形に残した。そこが違うところだ。
櫻井さんは、自分のホームページで、検証作業を進める一方、生存者から聞き取りして本にまとめ、すでに1995年「陸軍飛行第244戦隊史 調布の空の勇姿だち」として出版している。それが引き金となって、この写真集の解説に結実させた。櫻井さんの文章は、けっしてうまくはない。前回出版の戦隊史の構成力が今一つなのは否めない。
しかし、彼の著作を最大に評価する点は、244戦隊を記録し、形に残したことだ。元隊員たちが、なぜだか、隊の歴史についてまともな文集の形で書き残す人がいなかった点は、過去においては不幸といえた。だが、遅れに遅れただけに、現在になって、櫻井さんの調査と解説を得て、他を圧する写真集に実ったことを考えれば、過去の不幸は、幸運の先駆けだったのかと安堵する。
菊池さんの写真は、撮影当時に一部作意や陸軍側の制約があったとしても、そんなことを割り引いてもなお、雄弁な記録である。
もっと取り上げられてもよかった。国民が注視するなかで、敢然と米軍の無差別爆撃に立ち向い、当時の国民の溜飲をさげた、飛行244戦隊の記録が、長い年月を経て、ようやく出現した。そういう希少本なのである。
あゝ飛燕戦闘隊―少年飛行兵ニューギニア空戦記 (光人社NF文庫)
太平洋戦線で最も過酷といわれ、パイロットが日本に帰還する確率が限りなくゼロに近いニューギニアでの空戦記録。 梶並進と当時名乗っていた搭乗員が信頼する上官とともに高性能戦闘機「飛燕」で激戦を闘い抜く。 アメリカの高性能戦闘機P47を撃墜し、渓谷の基地を銃撃、そして陸軍所属ながら飛燕で艦船へ急降下爆撃を敢行する。
それ以上に男同士の友情、信頼関係が光り輝く。
コンバットフライトシミュレータ 3 アドオンシリーズ 2 陸軍ファイター
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機体と計器盤を消去するプログラムでは、飛燕以外胴体機銃の発射光が消えません。