超字幕/トランスフォーマー (USBメモリ版)
使えるようであれば何本か購入しようと思い試し買いしました。
もっとも期待していた、単語にカーソルを合わせると意味を表示する機能ですが、
複数形や、過去形など活用形の単語は、全て、該当なしの表示に。
結局、文全体の意味から推測するか、辞書を引くしかない状態に、
起動後1分で追い込まれます。
画面右に出ている台詞も、物語の進行に合わせてスクロールするので、私には早すぎて読めません。
かなり工夫して使えば、それなりに使えるのかもしれませんが、もう勘弁。
チャップリン自伝 上 ―若き日々 (新潮文庫)
世界の喜劇王 チャップリン
彼の記した唯一の自伝。
世界で一番人を笑顔にした男は
幼い頃は不幸のどん底。過酷の辛酸を嘗め尽くしている。貧困と孤独と辱めを繰り返し味わってきたにもかかわらず、彼は素敵だ。
モノ言わぬ放浪紳士、実は文才もすごい。
その記憶力の鮮やかさにも驚かされる。
幼少期を中心に語られる本書は上下巻の上巻に当たる。
序盤の家族で初めて海を観に行く件、爽やかな潮騒を感じない読者はいないだろう。この件だけでも本書は価値をもつ。
青年になってからの彼は文字通り人気と名声を欲しいままにするが、根幹は孤独を抱えている。
NYはチャップリンをたしかに魅了したが
孤独を倍増させたのも事実。
留学中によくマンハッタンの描写を暗記し、
真夜中にチャーリーが歩いたのと同じ道を
私も歩いたものでした。
Martini Blend
これだけの名曲がちりばめられていたら、「星5つです」としかいいようがない。
しかも何曲かはリテイクも含まれているという贅沢さ。
二歳違いの姉の影響を受けて聴きだしたのが十年ほど前。
厚生年金会館でのコンサートにも一緒に行った。
「おやすみロージー」で懐かしさがこみ上げて来て、
「ロンリー・チャップリン」でグッときてしまった。
日本人でこれだけソウルフルなボーカルはもはや国宝ものの存在。
脇を固めるアーティストも素晴らしいの一言。
特にスタイルは対極とも思える小田和正のハモリのブレンド具合は絶品!
チャップリン自伝〈下〉栄光の日々 (新潮文庫)
喜劇王チャップリンの1910年年代から60年代までの自伝で、
日本で有名になっている作品は、だいたいこの時期に制作されたものです。
「犬の生活」「のらくら」「キッド」「独裁者」「巴里の女性」
「モダンタイムス」「殺人狂時代」などなど。制作の裏話や
苦労話、日本で暗殺されかけたこと、などの派手な話もありますが、
どちらかというと交友録のほうに重点が置かれているようです。
数え切れないほどの映画人のほかに、チャーチルやガンディーとの
交流などについても述懐していますが、誰に対しても気取ったり
へりくだったりしない。こういう自然なつきあい方が、みんなに
親しまれるキャラクターになったんだろうな、と思います。
チャップリンといえば、”ひょうきんで人なつっこい人物”
”おっちょこちょいの道化”など、スクリーン上のイメージが
先行しがちですが、少なくとも自分を語るときの彼はとても
クールで、飾り気のない語り口で飄々と自分の成功と失敗を
語っています。20世紀の空気を感じたい人にお勧め。
ダンシング・チャップリン(DVD) [DVD]
映画は、前半が「アプローチ」と名付けられた、クランクインまでを追った60日のメイキング・ドキュメンタリーと、シンプルなセットと野外で撮られたバレエ作品「ダンシング・チャップリン」の映画化。
第一部の方が、どちらかと言うと周防監督らしいものになっていたかと思います。本番の前に、あえて創作の過程を見せてしまうというアイディアが秀逸。「アプローチ」では、チャップリン晩年の地であるスイスを訪ね、オリジナルの舞台の作者であるプティと話し合い、映画化への戦略を構想する周防監督の姿と、東京でのダンサー達の入念なトレーニングの様子を交錯させ、それぞれの闘いが描かれます。
門外漢の私が想像するだけでも、バレエ作品を映画化すると行っても、事はそう簡単ではないことが分かります。普通にステージをカメラで記録するだけでは、単なる舞台中継と変わらなくなってしまう。
あくまでも映像作品として再構成したい周防監督は、映画ならではの演出として、警官の出てくる舞台の一部を実際の公園で撮影したいとプティに提案する。チャップリンにオマージュを捧げ、これが単なる記録ではなく、一本の独立した“映画”である事を示したかったのでしょう。
だけど、ダンサーの踊りにフォーカスして欲しいプティは「それならボクはやらない」となかなか首を縦に振らない。この辺りはオリジナル作者の拘りと、彼の仕事を最大限リスペクトしつつも、あくまでも映画を撮ろうとする監督との創造のせめぎ合い、産みの苦しみである。まぁ、最終的には監督の見切り発車で公園での撮影を決行しちゃうんですけどね。(笑)
一方、東京ではダンサーたちが、ただでさえ難易度の高い振り付けを、クローズアップを含む映画として成立させなければならないという困難なハードルに立ち向かことに。
遠くの客席から観る舞台なら気にならない様な、身体のちょっとしたふらつきが、映画になると致命的に目立ってしまう。一発勝負の舞台と違い、監督がOKするまで繰り返し同じ動きを演じなければならないという問題もある。
ヒロインを演じる草刈民代をリフトする役の若いダンサーが、どうしても彼女を上手く支えられず、急遽代役がヨーロッパから呼び寄せられるが、残された日数はわずか数日!
これら様々な葛藤が描かれる「アプローチ」では、その問題の解は明確には示されず、映画はクランクインの日を迎えてしまうのである。
そして、五分間の暗転の後に、バレエ「ダンシング・チャップリン」が始まります。
このプロジェクトが多くの問題を抱えていた事を、「アプローチ」によって知らされている観客の期待と興味は既に十分に高まっている。
大苦戦していたリフトの動きは大丈夫なのだろうか? 「警官と公園と女性がいれば映画は撮れる」というチャップリンの言葉から、舞台のクローズドな空間を、映画的に開放したいという周防監督の願いは、プティに認められたのだろうか?例えバレエと言う芸術に馴染みがなくても、それまでの1時間に一つの作品を創りあげる戦いを見てきた観客は、すっかり舞台に向き合う準備はできているのである。上手いねぇ!!
やがてフィルムが再び回りはじめ、漆黒の世界に光が差し、主人公であるチャップリンが現れると、そこからはもうあっという間。
「黄金狂時代」「モダン・タイムス」「ライムライト」「犬の生活」「キッド」「街の灯」などから着想を得た作品。まず思ったのは違和感なし。そもそも「ライムライト」がバレエの映画だし、セリフなしでも音楽と動きで物語を表現するのは共通してるんですよね。
ダンサーの肉体が躍動し、嘗て観た映画の名シーンが、次々と美しいバレエの演目となって蘇り、映画ファンもバレエファンも等しく魅了される1時間10分の夢空間が広がります。
映画で観るバレエが凄く面白いと思ったのは、豊かな顔の表情と揺ぎ無い動きがクローズアップされていること。初めて観る人も、バレエの好きな人も、改めてバレエの表現の豊かさに驚くのではないでしょうか。