永遠と一日
あなたは、時間とよばれるものについて考えた事がありますか?それは進むものでなくましてや戻るものではない。私の耳をとおして感じるこの映画のサウンドトラックは、どの空間から流れてきたものなのだろう? 永遠という言葉の意味するものはまた、そこにあるものなのかないものなのか。長く『続く』ものを永遠とするのも、また終わりのないものをそうとするのもいいでしょう。
私たち言葉をもつものが与えたこれらの概念の浮雲的な、超空間的なあやふやさを映画の場面とともに響かせてくれるCDです。
永遠の一日 (海外文学セレクション)
読み終わったばかりなのに、読み返したくなる不思議な作品でした。
確かに入り込むまで時間はかかりますが、点と点がつながり始めると
「オオォー!!そういうことか」と、どんどん面白くなっていきます。
永遠と一日
初めての藁科作品として読みました。めちゃくちゃ面白かったです!ウイーンに住む、瀬川幸子という主婦が主人公。二人の義理の息子を育てているしっかり者の女性。ある日、市場での買い物の途中で、魔法の青めがねを買ってしまう。過去や、本の中にも行ける青めがね。幸子は家族に内緒で不思議な、危うい旅を重ねる。そして、ついに亡くなった弟に会う旅にでる。さあ、そこからが大変。こちらになかなか戻れない・・・。でも、最後は、私、泣けました。読み終わってしばらく、本を抱きしめました。 この人の本、もっと読みたいです。
永遠と一日 [DVD]
もしかしたら道端に転がっている一つの小石からも映画は作れるのではないか、そんな可能性をも感じさせる稀有な映画監督テオ・アンゲロプロス。
不治の病におかされた詩人アレクサンドレ(ブルーノ・ガンツ)は、ある朝人生最期の日を迎えたことを悟る。愛犬を預けようと娘の家を訪ねた帰り道、路上で自動車の窓拭きをする少年の一団を目撃する。ひょんなことからその中の一人を警察の手から救ったアレクサンドレは、彼らがアルバニアから不法入国したストリート・チルドレンであることを知らされるのだが・・・・・・
アンゲロプロスの新境地と評される本作は、今までの政治色はかなり薄まっていて、時間・国境・亡命・不在といったより普遍的テーマへの移行に成功している。愛妻アンナと過ごした海辺の家の楽しい家族団欒、自らの研究対象でもあった19世紀の詩人ソロモスへの憧憬・・・・・・移民問題にゆれるギリシャを現在の軸におきながら、詩人の魂は過去から未来へと自由に飛翔する。
<アンゲロプロスといえば曇り空>の固定イメージも一新、海辺のシーンでは何と、まばゆいばかりの太陽が燦々と降り注いでいるではないか。『シテール島への船出』以来音楽を担当しているエレニ・カレンドルーとのタッグもここにきて円熟味を増しており、シリーズお約束の黄色い雨カッパ隊も本作では○○○に乗って登場している。(アレッてギリシャ神話に出てくる水の妖精か何かでしょうか?妖精にしては随分老けてますけど)
そして何といっても、霧にかすむギリシャ−アルバニアの国境地帯で、鉄柵に引っかかるようにして死んでいる子供たちを映した鮮烈な映像が脳裏から離れない。そのモチーフは、召使の息子の結婚式、不法移民の子供たちを捕らえた刑務所でも繰り返し強調される。本作で紹介されたアルバニアはいうに及ばず、東欧やロシア、中東などの貧困地帯から、比較的裕福なEU地域へ不法入国する難民は跡を絶たないそうで、国境マニアの監督としては見過ごすことのできない大問題だったのだろう。
「明日の時の長さは?」詩人ソロモスさえ答えられなかったアレクサンドレの質問に妻アンナがこう答える。「永遠と一日よ」詩人は言葉によって時間や国の境界を越え、過去や未来に存在する人とも対話ができる永遠の存在。<明日=詩人という永遠の存在+1日>みたいなことを言っているのだろうか。過去・現在・未来の時間の壁を見事に取り除いてみせたアンゲロプロスの映像世界は、しばし時のたつのも忘れるほど充実した“永遠”だった。