笹まくら (新潮文庫)
まぎれもない傑作。
ここまで面白くて、古さを感じさせない小説が
43年前(2009年現在)に書かれたのは驚異的です。
もっとももしこの小説が古さを感じさせる時が来るとしたら、
それは日本がやばくなってきた時かもしれません。
それはそうとして、この本の文体は明晰で実に分かりやすく
好感が持てます。
私はこれを読んで
矢作俊彦の「ららら科學の子」と
フォークナーの「八月の光」を思い出しました。
両方とも本作とは大きく違うところがあるけれど、
主人公が流浪するところは似通っていないでもない。
そうして、「笹まくら」は暗いところが少ない。
人生の重みは伝わる、しっかり伝わる、でも暗くない。
これはやっぱりジョイスの影響が大でしょう。
「ららら科學の子」には、現代日本をとても悲しく感じているところがあった。
しかし「笹まくら」はどこか牧歌的で、
少年の冒険とさえ言って良さそうなところがあります。
「身捨つるほどの祖国はありや」という寺山修司の言葉。
それを思い出すような、
国よりも戦争よりも個人の生き方を大切にするという
姿勢を感じます。
だから、この小説が古くなる時があるとすれば、
自由な生き方が禁じられる時
そういうやばい時だと思うのです。
蛇足:「あるかな?ないねえ。ここんところに。ないねえ。」に
笑いました(酔っぱらいの意識の流れ)。
ユリシーズ 1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
20世紀の文学に決定的な影響を与えた『ユリシーズ』。英文学を専攻するからには読まなくてはと思ったが・・ム、ムズすぎる・・。最初は原文から読んでみたが、英語だけでも何を言っているのか理解不能なのにところどころにラテン語やらギリシア語やら、さらにはジョイスの造語まででてくる。註なしで読むのは不可能だとわかったので日本語で読んだが、それでも内的独白と呼ばれる登場人物たちの心理描写がとにかく複雑。そんな細かいこといいんでは?と言いたいくらい細かい註を読むのも大変。文庫版は後ろに註があるからこっちを開いたりあっちを開いたりと。途中から文体が『平家物語』風に変わったり、幻覚と現実がごっちゃになったりで、普通に読書を楽しみたい方にはとてもおすすめできません。ジョイス自身「学者が研究に困らないように書いた」なんて言ったらしいが、単なる冗談ではない気がするくらいの難解さ。『ユリシーズ』はホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにして構成されている。『オデュッセイア』を読んでから読めば多少は楽しめるかもしれない。が、この難解さはやはり学者のための研究用の小説といった感じがしてしまいます。謎解きが好きな方にはおすすめ。
文章読本 (中公文庫)
丸谷才一の本を読むたびに、この人の正体は何だろうと思うことがあります。小説家?評論家?ジョイス学者?雑文家?多分、正体は10年に1冊の長編小説しか書かない小説家というのが正しいのだろうけれど、もちろん力点は小説家においています。少ししか小説を書かない小説家、そうなった理由はこの「文章読本」を読めばわかるような気がします。
もともと、芸の限りをつくして趣向を凝らした面白い作品を書くことを信条にしている小説家ですが、ある時、現在の日本がそういった作品を書き続ける環境にないことに気がついた。自分の作品を味わって、面白がってくれる読者層の薄さ。小説家にとって、信頼のできる読者をイメージできないのは致命的なことです。そこで彼は考えた、「小説を書く前にしなければならないことがある!」(と、私は想像しているのです。半分はあたっていると思います。)
その結果、書かれたのがこの「文章読本」。そして上質な文章の見本帳として生産されているのが「雑文集」。
以上の予備知識をもって、「文章読本」を読むと面白さが倍増します。私自身は「ちょっと気取って書け」というアドバイスに目からウロコがボロボロッと落ちました。「ああ、なるほど」と思い、それ以降、文章の幅が広がりました。それに、褒め上手なところも参考になります。まあ、文章の有段者を目指す人には必読書といったところですかな。