クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (クアトロ・ラガッツィ/天正少年使節と世界帝国) (集英社文庫)
日本では信長がその権力の絶頂で明智光秀に討たれ、秀吉が天下をとって全国統一をなしとげようとしていたころに、九州のキリシタン大名三人がヨーロッパに派遣した四人の少年は正式な使節として遠く海をわたっていた。彼らは、中国、インド、ポルトガルを経てスペイン、イタリアとわたり、永遠の都ローマに入り、カトリック世界の帝王であるグレゴリウス十三世と全枢機卿によって公式に応接され、つぎの教皇であり大都市建設者であったシクストゥス五世の即位式で先導を務めた。八年後に彼らは日本に帰り、秀吉に親しく接してその成果を報告し、西欧の知識・文物と印刷技術を日本にもたらしたのだった。
筆者によれば、この世紀(二十一世紀)は、十六世紀にはじまる、世界を支配する欧米の強力な力と、これと拮抗する異なった宗教と文化の抗争が最終局面を迎える世紀になるだろう。人類は異なった文化のあいだの平和共存の叡智を見いだすことができるだろうか。それとも争い続けるのだろうか? それこそはこの本の真のテーマなのである。
当該上巻は、日本における当時の政治的状況、その下でのキリスト教の布教状況、そして少年使節が派遣されるまでの過程が、主として取り扱われる。徳川幕府以前の日本は遥かに世界に開かれており、豊後の大名である大友宗麟や信長をはじめ、宣教師、戦国大名、庶民が生き生きと描かれている。
堂々たる日本人―知られざる岩倉使節団 (祥伝社黄金文庫)
本書は明治4年に明治政府の中枢をなす大物たちが2年近くに渡って欧米諸国を視察する「岩倉使節団」の様子を描いたものである。
興味深いのは、欧米社会&政治体制&価値観を当時の日本人がどのように分析したかである。
共和制、民主主義、君主制、個人主義などをどう捉えたのか?
それらを鋭く分析しているのには驚かされる。
戦後日本では民主主義が絶対的に優れたものと勘違いしているように思えるが、当時の日本人は当たり前のようにそれのデメリットを見抜いている。
また、「岩倉使節団」の様子だけでなく、まだまだ不安定だった明治黎明期の日本の政局も描かれていて、個人的に、この辺の知識が疎かったため非常に参考になった。
特命全権大使米欧回覧実記 (1) (岩波文庫)
アメリカ合衆国に旅行する時、この本(第1巻)を携えるとおもしろいのではないでしょうか。
遣欧米特命全権大使の1871年の冬至から73年秋までの1年9ヶ月と21日にわたる米欧回覧全行程のうち、この第1巻は、横浜出港からアメリカ滞在を経て大西洋横断までの8ヶ月弱の記録です。そもそも本書は、明治政府として、米欧回覧で岩倉使節が得た知見をひろく国民に知らしめる責を果たそうとして出版されたもの。この使節一行が何を見て、何を国民に知らそうとしたかが手際よく簡潔に(それでいて全体は文庫本5冊)美しい文語文で書かれています。
この回覧実記は、使節が見聞したこと、興味を引かれたことを、できるだけ客観的に書こうとしつつ(これは、もうリアリズム)、使節の目的に沿った考察もしっかりしています。ですから、読者の興味・関心・立場などによって様々な読み方ができます。たとえば、使節がアメリカの自然、あるいは資源をどのように見てそこから何を考えたか、を読みとることもできます。130年を隔てて人文・地理の異同は何か、と読めば、アメリカ旅行のテーマにもなります。岩倉使節の旅をそれぞれのやり方で跡づけること=「『実記』紀行」が可能です。それは、この巻だけでなく以降の巻にもいえそうです。
また本書は、カタカナ・漢字の美しい文語文で書かれています。最初は難しく感じても読み進むうちに慣れてきて、叙述がリズム良く流れてゆくようになり、しばしば、何と力強く美しい文章だろう、と思うようになるはずです。安野光雅さんは、ご自身の著書「青春の文語体」でこの本を取り上げてその文語文を推賞しておられます。私も同感です。