町長襲撃―産廃とテロに揺れた町
「市民」や行政の動きをしっかり書いてある。市民の努力や県のDQNな対応などはよくわかった。
しかし本書を「市民」の出す本と違う点を上げるとすれば産廃業者の言い分が入っていることだろう。ゴミを捨てるのであれば誰かが処分しなければならない。だから「悪貨が良貨を駆逐する」状況の中で奮闘する業者にはエールを送りたい。書いてある通りだったらね。
悪貨に舐められない行政というのを期待したいが・・・
襲われて―産廃の闇、自治の光
岐阜県御嵩町の柳川喜郎町長が1995年、何者かに襲撃され瀕死の重傷を負った。もう15年前のことだが、民主主義を脅かすテロとして全国的に大きなニュースとなり、同時に産廃処理場の存在も指摘されていた。よく記憶に残る事件であったし、この度この本の存在を知り、その襲撃された本人が著者だということで興味を持って読んでみた。
結論はレビュータイトルの通りである。恐ろしい過程を経たのだから不謹慎な感想ではあろう。しかしそう表現するのが適切に思われる。柳川氏が「来たな」と思ったという襲撃場面から始まる書き出しはそれだけで引き込まれるし、読み始めたら先が気になって仕方がない。一級品のエンターテインメントのような面白さがあった。
それにしても解せぬのは岐阜県の対応である。まるで県が既に産廃業者に取り込まれてしまったかのような対応を繰り返す。暗躍する闇社会の住人も様々だ。嘘に嘘を重ねていく産廃業者や暴力団の影、目的もわからぬままに正確な情報だけを提供する不可解な人物などもおり、犯人像なども容易に浮かんでしまう。政治力や産廃利権、反社会的な暴力、どうしても必要な"迷惑施設"といった構図が垣間見える。
やはりこの問題にも「エスタブリッシュメントと渾然一体化するマフィア」という日本社会の縮図が絡みついているのだろう。各地の産廃施設問題にも同様な図式があることは容易に想像でき、面倒なことをいわゆるヤクザに任せてきた文化が、利権絡みの行政対象暴力というしっぺ返しを生み、非合法で理不尽な対応を余儀なくされている。
危険な目に遭いながらも筋を通し、産廃施設と歪んだ行政に一石を投じた柳川町長には拍手を送りたい。同時に私たちも産廃問題、住民自治にもっと関心を持つべきであろう。本書で中坊公平が言うように「情報をお天道様の下に晒し、バイ菌を殺す」のは、他ならぬその土地の住民なのだから。