ビルマの竪琴 [DVD]
埴生の宿(原曲は英国の歌)で連合軍の歌に囲まれて、結果終戦を知る村でのシーンは映画的な迫力のある素晴らしい輝きがあると思います。それは、日本軍の連隊がある歌を歌いながら火薬を取りに行くのですがそのとき緊張をほぐすためにつま弾くビルマの竪琴、その音色まさに素晴らしいシーンです。さらに連合軍の歌に呼応して竪琴を演奏することは音楽は万国共通の原語(特にこのときは連合軍の中でも英国と日本の共通の歌)ということをうまく表現していると思います。
この表現はのちに仲間と居てもたっても居られずに金網越しに再会するときのお別れの言葉なしに竪琴を引くだけで語るシーンにもつながります。本題の「名もない兵士の魂の鎮魂」は言葉でも映像でも表現できない経験したことのある人間にしかわからない厳しい現実でしょう。ですから水島上等兵の選択を我々も深く心に刻み込まなければならないと思います。ある兵士がいうところの「では水島上等兵の家族はどうなるのか?」永遠のテーマだと思います。この作品は同じ監督で2回作られているので、俳優のリアリズムの比較ができて面白い映画だと思う。当然、この物語を演ずる俳優はこの映画の時代の俳優の方が戦争を経験している人たちが多い分、上です。私の中ではこの映画は戦争映画のベスト3に入る映画です。お勧めというより観なければならない映画の1つだと認識しております
ビルマの竪琴 (新潮文庫)
隊長が、オウムに「水島、いっしょにかえろう」と覚えさせようとするところで
涙がとまらなかった。
全編をつうじて、「これだよ。これこそ、日本人だよな」と考えさせられた。
この本が、今話題の(悪い意味で)「フジテレビ」出版から出ていることに、感慨をおぼえる。
ツァラトストラかく語りき (下巻) (新潮文庫)
ニーチェの最高傑作であり、後世の価値観に計り知れない影響を与えた作品です。
ツァラトストラはニーチェの思想を代弁する傀儡としての役割を果たしていますが、その思想の核は、形骸化したキリスト教の否定、外部からの強制ではない個人的価値観の重視、超人思想、永劫回帰思想などに象徴されます。
この本は一度読んだら忘れられない金言の宝庫です。詩的な比喩が多用され、どのように解釈するかは読み手の考え方しだいです。
竹山氏の訳は古風な表現のため格調高く重厚ですが、悪く言えば難解です。読みやすさを求めるなら岩波の訳、格調高さを求めるなら新潮の訳をお薦めします。
以下に、私の心に残った部分を挙げてみます。
・勇氣はまた、深淵に臨んで眩暈をも殺戮する。人間はいずくにあつてか深淵のほとりに立たざるものぞ!見ることはすなわち -- 深淵を見ることではないのか?
・人間が人生を見ることの深さは、すなわち彼が苦惱を見ることの深さである。
・「かくの如きが人生であるか。いざ!いま一度!」かかる言葉の中には、多くの鳴り響く樂の音がある。耳ある者は、聴け。--
・幸福はわれを追う。その所以は、われが女らを追わざるによる。
・ある人の孤獨は、病める者の逃避である。また、ある人の孤獨は、病める者からの逃避である。
・最大の人間もあまりに小さかった!之ぞ、人間に對するわが憤怒であった!しかも、最小なる人間も永劫に回歸する!之ぞ、一切の存在に對するわが憤怒であった!あゝ、嘔吐!嘔吐!嘔吐!
・おゝ、わが魂よ、われはなんじに、暴風のごとく否を言い、雲なき空の如く然りを言う權利を與えた。なんじは光のごとく靜かに立ち、いまや否定する暴風のさなかを行く。
・われは今日の人間のための光であろうとは欲せぬ。光と呼ばれようとは願わぬ。われは かれらを -- 眼(まなこ)眩まそうと欲する。わが叡智の紫電よ!かれの眼をば抉り出せ!
ビルマの竪琴 [DVD]
ビルマの竪琴これを観たのは小学生の時でした、二十何年たってもこの映画を忘れる事は一度もありません、暗い戦争時代を経験した人だからこそ、暗い時代のなかのほんのすこしの希望、良心、普遍的なこうありたいという気持ち。苦しい時代を経験したひとでなければ、この苦しいなかにだからこそ、人間のやさしさはでなかったそう思います。
ツァラトストラかく語りき 上 (新潮文庫 ニ 1-1)
ニーチェはマルティン・ルターのドイツ語訳聖書にならって、平易なドイツ語でこの著書を書いたといわれている。にもかかわらず、竹山道雄の日本語訳は、日本語が難しすぎる。ドイツ語で読んだ方が、よっぽどわかりやすい。これでは、この著書が難解で、取っつきにくいという印象を読者に与えてしまうだろう。
ただし、各ページに注釈がついているのは、役に立つ。